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【9】貴族のスイーツ〈前〉

【9】貴族のスイーツ〈前〉


くだもの今むかし〈前〉


今回は平安時代のお菓子の話題です。

◆平安朝のフラッペ


夏の風物詩のひとつ、かき氷。
強い日ざしの中を歩いていると、つい恋しくなりますね。

ところで千年も昔、
平安貴族がかき氷を食べていたのをご存じでしょうか。



あてなるもの
薄色に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)
かりのこ 削り氷(ひ)にあまづら入れて
あたらしき金鋺(かなまり)に入れたる
水晶(すいさう)の數珠(ずず)藤の花
梅の花に雪のふりかかりたる
いみじううつくしきちごのいちごなどくひたる
(枕草子 第四十二段)


上品なものといえば
薄紫の着物の上に白襲(表裏とも白)の表着を重ねた少女
雁の子 削った氷にあまずらを入れて
新しい金属のわんにいれてあるもの
水晶でできた数珠(じゅず) 藤の花
梅の花に雪が降りかかっているところ
とてもかわいい子どもがいちごなど食べているところ


「あて」は漢字で「貴」と書き、上品で美しいこと。
削り氷は今でいうかき氷で、
それに甘葛(あまずら)という植物から作った
甘味料を混ぜて食べました。
金属のお椀に入れたら涼しげに見えたのでしょう。

氷は氷室(ひむろ)に保存していたもの。
京都周辺の各地から、夏になると宮中に献上されました。

旧暦六月一日は氷の朔日(ついたち)ともいい、
宮中では氷室の節会(ひむろのせちえ)が催されて
皇族や上級貴族が氷を食べるならわしでした。


当時の代表的な甘味料はあまずらで、
砂糖や蜂蜜はほとんど使われませんでした。
輸入が少なく希少な上に、薬用とされていたためと考えられます。


いちごはまちがいなくくだものですが、
当時は削り氷もくだもの、
餅(もち)もくだものでした。

平安文学に「菓子」として出てくるのは
それらの総称なので、混乱なさらないように。



◆餅配りの習慣


「葵」の巻に出てくる亥の子餅(いのこもち)は
旧暦十月の亥の日に配る菓子のこと。
無病息災や子孫繁栄を願う「亥の子の祝い」は宮中の年中行事でした。



その夜さり 亥の子餅参らせたり
かかる御思ひのほどなれば ことことしきさまにはあらで

その晩 亥の子餅を御前に差し上げた
このような喪に服す時期なので大げさにはせずに


時期が時期なので源氏はこっそり用意していますが、
多くの人に普通にふるまうものでした。

素材は大豆、小豆、大角豆(ささげ)、
胡麻(ごま)や栗などが使われていたといい、
農村のそれとはちがっていたかも知れません。

武士の時代になると
形も大きさも碁石ほどのものになっていたといいますから、
時代や社会によってさまざまなヴァリエーションが
あったものと考えられます。


(→後編につづく)