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【57】貴族のカーライフ


今回は平安時代の乗用車について考えます。



◆馬車がなかった日本


福沢諭吉はサンフランシスコで初めて馬車というものを見たそうです。
何なのかわからないまま乗せられ、
走り始めてようやく乗り物だと気がついたのだとか。
意外に思われるかもしれませんが、
日本には長いこと乗用車としての馬車がなかったのです。

平安貴族の乗用車は牛車(ぎっしゃ)と輦車(れんしゃ)でした。
牛車は今でも再現されたものを祭りなどで見ることがありますね。
輦車は「てぐるま」ともいい、人が牽くもの。
とくに許可を得た貴人のみが乗車でき、
内裏でこれに乗ることはその人物の格の高さを示す意味がありました。

『平家物語』に
「牛車輦車の宣旨を蒙って乗りながら宮中を出入す」とあるのは
清盛が許可を得て乗車のまま宮中に出入りしたということ。
通常は宮中への車の乗り入れは禁止されていました。

馬車がなかったのは貨物運搬でも同様だったようです。
貨物は車に載せて人、もしくは牛が牽いていました。
京都近郊には車を貸し出す賃車(レンタカー?)業者がおり、
車夫つきで貸し出すこともあったといいます。


◆最高級車は中国風


牛車は乗る人の身分によって、
種類が細かく決められていました。

10種類くらいあったようですが、 たとえば皇族や摂政、関白は最高級の唐庇(からびさし)の車でした。
屋根は八の字の唐破風(からはふ)を持ち、
檳榔(びろう)の葉で葺いてありました。
人の乗る箱は大きく、華麗な装飾が施されています。

后や女官たちの糸毛(いとげ)の車は
青糸毛、紫糸毛などの色糸で装飾したもので、
前後の庇に総(ふさ)を垂らしていました。
糸の色は身分によって決められていたので、
乗っているのがだれか想像しやすかったそうです。

身分により異なったのは車種だけではありません。
騎馬で牛車を先導する随身(ずいじん)たち、
威儀を整えるために同行する
舎人(とねり)たちの人数にも規定がありました。

ほかに牛飼童(うしかいわらわ)、
傘や雨皮(あまかわ=雨のとき牛車にかける覆い)を持ったお供がつき、
牛車のまわりには20人前後の人々がつき随っていました。

牛車一台でそれだけの人数ですから、
二台、三台もあったら、これはもはや行列です。
華麗な行列が、先払いをしながらゆっくりゆっくり進んでいったのです。

ここまで見てくると、なぜ牛車だったのかわかる気がしませんか。
走ってしまったら貴族の威厳が損なわれるのです。

また身分の差を露わにする車種やお供の人数のちがいは
厳格な身分制度を人々に意識させ、その階層の最も上にいる
天皇の高貴さと権力を知らしめる役割を担っていたと思われます。