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【56】年上の妻


今回は皇族男子の元服と添臥の慣習の話題です。



◆早かった成人式


光源氏は12歳で元服し、4歳年上の葵の上を正妻に迎えます。
ほんの少年のうちに成人式をして、
さらに結婚までしてしまうというのは、
いかに平均寿命が短かったとはいえ、ずいぶん早い気がします。

記録にある最古の元服は聖武天皇で、年齢は14歳。
皇族は16歳くらいまでに行うのが一般的だったようです。

紫式部の時代の一条天皇は
7歳で践祚(せんそ=天皇の位を受け継ぐこと)し、11歳で元服。
つまり天皇になってから元服しています。

天皇元服は中国の例にならって必ず1月5日に行われ、
太政大臣などの高位の人物が
加冠・理髪・能冠の三役に奉仕しました。

男子に元服させることを「男になす」といい、
その日から成人男子と見なしました。
また初冠(ういこうぶり)とも呼ぶように初めて冠を着けるのですが、
冠の形状や素材は身分によって違っており、
大人社会における自分の位置を確認させる意味もあったと思われます。

髪型は両耳のところで束ねていた角髪(みずら)から
結髪(けっぱつ)に変わります。
衣服も腋を縫い合わせた袍(ほう)に変わるので、
外見の印象は一変します。
物語では帝が「あげおとり」しないかと心配しています。
わずか12歳の光源氏が、髪を結い上げる大人のスタイルが似合わなくて
見劣りするんじゃないかというのです。

『源氏物語』には書かれていませんが、
名前もそれまでの童名(わらわな)から諱(いみな)になります。
これが実名に相当するものです。
ちなみに一条天皇の諱は懐仁(やすひと)でした。
一条というのは死後に贈られた諡(おくりな)です。


◆年上の妻ができるわけ


皇子や東宮の元服には、当日の夜
添臥(そいぶし)と呼ばれる女子を添い寝させる慣習がありました。
葵の上のように添臥がそのまま正妻になることも多かったといいます。

正妻になるわけですから、身分が高いことが第一条件です。
また元服が低年齢化していたため、結婚が可能な女性を選ぶと
必然的に年上の女性にしぼられることになりました。
正妻が年上なのはめずらしくなかったのです。

「桐壺」の巻で帝が左大臣に
「この折りの後見(うしろみ)なかめるをそひぶしにも」と
言っていますが、この際、後見役もいないようだから
娘を源氏の結婚相手にどうかと促しているのです。
添臥は結婚と同義になっていたようです。


いときなきはつもとゆひに 長きよを契る心は結びこめつや


幼い人に初めて結ぶ元結の紐に
末永くと誓う気持を結び込めましたか

帝はこのように左大臣に問いかけます。
息子が聟になるわけですから、よろしく頼むよというのです。