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【54】紫式部の地獄堕ち


今回は紫式部伝説の話題です。



◆死後の紫式部


今ではすっかり忘れられていると思いますが、

○紫式部は石山寺で『源氏物語』を書き始めた
○『源氏物語』は六十帖あった
○書き終えた紫式部は死後地獄に堕ちた
○紫式部は観音の生まれ変わりだった

などと信じられていた時代があったそうです。

それらの言い伝えを総合したような
『源氏供養(げんじくよう)』という謡曲(能)があります。
そのあらましはこうです。

京都安居院(あごいん)の僧が石山寺参詣のため滋賀唐崎にさしかかると、
里の女が現れてこう頼みます。
 わたしは石山寺にこもって源氏六十帖を書き
 のちの世まで名を残すこととなりましたが
 その源氏を供養しなかった科(とが)により成仏できずにいます。
 できることなら石山寺で源氏を供養して
 わたしを苦しみから救ってください。

石山寺に着いた僧が供養をして菩提(ぼだい)を弔ってやると
「さも美しき女性(にょしょう)」が姿を現して礼を述べ、
舞いを舞って去っていきます。
女は紫式部でした。
最後の部分に、紫式部は石山の観音の仮の姿であり、
物語は人々に世の無常を知らせるために書いたものとあります。


◆狂言綺語の罪


なぜ紫式部は成仏できずにいると考えられたのでしょう。
それは狂言綺語(きょうげんきぎょ)の罪のせい。
仏教のいましめ「不妄語戒(ふもうごかい)」の影響でしょうか、
道理に合わない言葉や作り話、大げさな話などは
罪深いものとされていたのです。

となると、壮大な作り話を書いた紫式部が無事であるはずがない、
地獄に堕ちて苦しんでいるだろうと、考えられたわけです。
その一方で、あれほどの傑作を書いた人物が常人であるはずがない、
実は観音さまだったのだということにも。

作り話も諸行無常を衆生(=俗世間の人々)に教えるための
方便なのだったら、とがめられることはないと考えられました。
こんな歌もあります。


 狂言綺語のあやまちは ほとけを讚(ほ)むる種として
 麁(あら)き言葉もいかなるも 第一義とかにぞ帰るなる
 (梁塵秘抄 巻第二)


無責任な「第一義とか」という言葉が気になりますが、
仏法の「窮極の真理」とでもいった意味でしょうか。

ところで、『源氏物語』が六十帖だったというのは
だれがいつ言い出したのかわかっていないそうです。
ただ仏教にも詳しかったと思われる紫式部が、法華経六十巻にならって
物語を60巻構成にしたという説には説得力があったらしく、
古い書物には「源氏六十帖」という表記が見られることがあります。

では足りない6巻の所在は?
どこかに秘伝として伝わっているのだと
まことしやかに言われているだけで、見た人はいないのだとか。