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【52】六条京極の大邸宅


今回は光源氏の六条院について見てみましょう。



◆桁外れの豪邸建築


光源氏は「乙女」の卷で
六条京極辺りにあった中宮の旧居を活かして大邸宅を建てます。
広さは四町という広大なもので、南東の町は春、
北東の町は夏を、南西の町は秋、北東の町は冬を、
それぞれ楽しめるように造られていました。

当時の貴族の邸宅は方一町(120メートル四方)といわれているので、
四倍もの広さの大豪邸ということになります。
この場合の「町」は距離でなくブロックをあらわしています。

前話に紹介したように、左京北半分は地価が高騰していたといいますが、
六条の辺りはどうだったのでしょうか。

この一帯には実際に貴族の邸宅が多く建てられていて、
光源氏のモデルとされる源融(みなもとのとおる)の別邸、
河原院(かわらのいん)はとくに有名です。
融はここに陸奥の塩竈(しおがま)の風景を造り、
難波の海から海水を運ばせて塩を焼いていたといいます。

ほかにも大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)の六条殿には
天橋立(あまのはしだて)が造られていたと伝えられ、
光源氏の六条院のヒントとなる邸宅はいくつもあったようです。


◆源氏の心配り


貴族の邸宅は寝殿造(しんでんづくり)です。
敷地は築地(ついじ)で囲まれていて、
中央に寝殿があり、その南側には大きな池が掘られています。
寝殿の東西に東の対(たい)、西の対と呼ばれる建物があり、
寝殿とは渡殿(わたどの)で結ばれています。

東西の対から南側に細い廊が延びていて、
その先に釣殿(つりどの)があって池に面しています。
釣りができるという意味ですが、
納涼や月見などに用いる建物です。

寝殿から北に延びた渡殿の先にあるのが北の対。
その北側に築地に沿って雑舍が並び、
東西の対と築地の間には侍所(さむらいどころ)と
車宿(くるまやどり)が置かれます。

ほかに倉や作業所、厩(うまや)などもありますが、
建物の配置は左右対称が基本形でした。

架空の話とはいえ、六条院の場合は敷地があまりに広く、
収容する人数も多かったので、建物の数も通常より多く、
きっちり左右対称でもなかったようです。

源氏が自分と関係のつづいている女たちを
すべて集めて住まわそうとしたためで、
それぞれに女房たち、侍女たちがついているので、
たいへんな人数になるのです。

「乙女」の卷には「女房の曹司町ども当て当てのこまけぞ…」とあり、
女房たちの自室である曹司(ぞうし)が、細分されて
それぞれにあてがわれていたことがわかります。

女たちが寂しくなったり不便になったりしないよう
それまで仕えていた女房たちもまとめて引きとり、
その女房たちの生活も質を落さないように気遣う、
源氏の心配りの細やかさと財力が示されています。