【48】貴族ののほほん生活
今回は平安貴族の一日の過ごしかたを見ていきましょう。
◆のほほんとしてはいられない?
貴族は毎日優雅に遊び暮らしている…
そんなイメージがありますが、実際はどうだったのでしょう。
じつは平安貴族はとても早起きでした。
起床は午前3時ごろ。内裏の門が開かれる時刻で、
開門を知らせる太鼓が鳴らされたのだそうです。
夏でも空が白みはじめるまで間がありますから、
冬など真っ暗なうちに活動を開始していたことになります。
最初にするのは自分の星の名を七回唱えること。
人は生まれながらにして北斗七星のどれかの星に属し、
その星に寿命や禍福を支配されているという
北斗信仰にもとづくものです。
次に暦を見てその日の運勢を確認。
こちらは陰陽道によります。
暦は一日の行動を支配する大切なもので、
物忌(ものいみ)や方(かた)たがえも暦によって行いました。
『源氏物語』にもよく出てきますね。
貴族たちは物忌の日には門を閉じ、「物忌」と書いた札を貼って
家にこもって過ごしたのです。もちろん仕事はお休みです。
そんなことで休んでいいのかと思いますが、
かれらは凶事をとても恐れていたのです。
暦を見たあとは西に向かって祈りを捧げます。
西には阿弥陀仏の極楽浄土があるからです。
今度は仏教です。
手を洗い、楊枝で歯を磨き、うがいをしてさっぱりしたところで、
前日のことを日記に書きとめます。
暦の書き込みスペースに書く人もいました。
それからようやく朝食を摂るのですが、
これは簡単な腹ごしらえていどだったようです。
髪を梳かし(3日に一度)、沐浴(5日に一度)して
着替えを済ませたら出勤です。
これが午前7時のこと。ずいぶん早いですね。
仕事が終るのが11時くらいで、帰宅して正午までには
昼食を済ませました。これが最初の正式な食事です。
夕食は午後4時頃。それまでは自由な時間です。
週休二日制などなかった時代なので、
土日のかわりに午後の時間を休息や遊びに費やしたといえるでしょう。
もちろん夕食後も基本的に自由なのですが、
宿直(とのい)があったり夜間会議があったり、
出かけなければならないこともありました。
宮中の宴会に参加するのも仕事のうちでした。
◆貴族の余暇が文化を育む
貴族たちの職場は中央官庁ですから、
国政にかかわる書類の決裁や議定がおもな仕事です。
しかしそれとならんで重要だったのが儀式です。
朝廷の年中行事は多く、それぞれが大規模で威儀を正したものでした。
貴族にはそれらを滞りなく行うことが求められたのです。
とはいえ残業はあまりなかったようなので、
昇進のためにさまざまな勉強をしたり、
教養やセンスを磨くために詩歌管絃の練習をしたり、
自分の時間はたっぷりあったわけです。
いかにも貴族らしい歌会、蹴鞠(けまり)や
花見、紅葉狩りなどの遊びももちろん欠かしませんでした。
平安時代の文化は、このような貴族の余暇の中から
生み出されていきました。