【46】四十歳で長寿の祝い
今回は平安時代の長寿の祝いのお話です。
◆何歳からがお年寄り?
村の渡しの船頭さんは 今年六十のお爺さん♪
年をとってもお船を漕ぐときは 元気いっぱい櫓(ろ)がしなる♪
童謡『船頭さん』の歌詞です。
六十歳でお爺さんなんて言ったら怒られそうですが、
この歌が発表されたのは昭和16年のこと。
70年ほど経った平成の今とは事情が異なります。
では1000年さかのぼって、『源氏物語』の時代は
何歳くらいからがお年寄りだったのでしょう。
「若菜上」の巻に光源氏の四十賀(しじゅうのが)が出てきます。
四十歳になったお祝いの行事で、実はこれが長寿の祝い。
平安時代の平均寿命については諸説ありますが、
老年の入り口が四十歳と考えられていたのは確かなようです。
乳幼児死亡率が高く医療も未発達だった時代です。
五十歳まで生きられるのは10%、
六十歳は5%以下という推計もあるくらいですから、
四十歳で老いを意識してもおかしくなかったわけです。
源氏は四十賀で、玉鬘(たまかずら)に若菜を献上され、
このような歌を詠みます。
小松原末のよはひに引かれてや 野辺の若菜も年を積むべき
小松のように若いあなたたちの末永い将来にあやかって
野辺の若菜も歳をかさねていけるでしょう
年齢のことなど考えたくもないと言っていた源氏、
お祝いなどされると思い出してしまうじゃないかという軽口は
ひょっとして照れかくしだったのでは。
◆十年ごとの長寿の祝い
物語では源氏の四十賀の数年後、
出家していた朱雀院の五十賀(ごじゅうのが)が行われます。
このように十年ごとにお祝いをするのを算賀(さんが)と呼びます。
算賀では祝い客を飲食でもてなすほか、
音楽の演奏、漢詩や和歌の創作なども行われました。
源氏は玉鬘から若菜を贈られていますが、
竹杖(ちくじょう)や鳩杖(きゅうじょう=鳩の飾りのついた杖)を
贈ることもあったそうです。
物語中に籠物四十枝、折櫃物四十とあるのは祝儀の品。
籠(かご)と櫃(ひつ)がそれぞれ40ずつ用意されたということです。
源氏は日用品を配ったわけですが、
馬や経巻などを配る例も多かったといいます。
その数は五十賀では50、六十賀では60というふうに
年齢に合わせるのがしきたりだったといいますから、
九十賀を行なった藤原俊成(1114-1204)は
いったい何を90揃えたのでしょう。
もしも当時保険があったら、
健康に自信のある人は「算賀保険」に加入したかも。
ところで、平安時代の文学には
還暦、古希、喜寿といった言葉が出てきません。
調べてみると、それらの年祝(としいわい)は
室町時代末期に始まったもの。
意外に新しい風習で、それが現在にまで続いているのですね。