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【44】光源氏の教育法

【44】光源氏の教育法


今回は平安貴族の子弟教育について。



◆貴族は早期教育があたりまえ


「桐壺」の巻に
「七つになり給へばふみはじめなどせさせ給ひて」とあり、
光源氏が7歳で読書初めをしたことがわかります。
男子ですから与えられる書物は漢籍(中国の本)です。

当時は数え年なので満年齢は6歳もしくは5歳。
ずいぶん早いなと思いますが、
それが貴族のエリート教育だったようです。

教育の場は主に家庭でした。
作者紫式部も小さいうちから家庭教育を受けています。

紫式部の場合は父親が学者でしたが、
そうでない場合は博士が招かれたり、
紫式部のような学識ある女性が教師をつとめたりしました。

光源氏はしかし、家庭敎育のあと、
息子の夕霧を大学に通わせます。

当時は大学寮(だいがくりょう)という教育機関があり、
ここで官吏の養成を行っていたのです。

平安時代中期の大学寮で教えていたのは
紀伝道(きでんどう)、明経道(みょうぎょうどう)、
明法道(みょうぼうどう)、算道(さんどう)の四道と
書道、音道でした。
もっとも重視されたのは紀伝道だったそうで、
これは中国の史書や文選(もんぜん=文集)、
作文(さくもん=漢詩の創作)などを学ぶもの。

創設当時は五位以上の人の子孫と、
八位以上の人の子弟でとくに希望する者を入れていたそうですが、
平安時代には、六位以下の人の子弟は
入試を受けて学生(がくしょう)となりました。


◆息子に厳しい光源氏


源氏は「少女(おとめ)」の巻で、
元服した夕霧に与える位(くらい)を思案します。
大臣の息子なので四位か五位を与えるのがふつう。
しかし源氏は夕霧を六位という低い位につけ、
大学寮に入れて教育を受けさせます。


高き家の子として官位爵位心にかなひ
世の中盛りにおごりならひぬれば
学問などに身を苦しめむことは いと遠くなむおぼゆべかめる


高貴な家の子弟として官位爵位が望みどおりに得られ
世の中の栄華におごる癖がついてしまうと
学問などで苦労することはとても縁遠く思うようです

夕霧が浅葱色の衣(六位を示す)を着るのを嘆く
大宮(夕霧の養育者)に、源氏はこのように言って理解を求めます。
学問して得た知識や教養はかならずその人を立派にし、
将来にわたって役に立つものだと。

貴族の子弟は最低でも五位からスタートし、
大学で学ぶ必要もなく相応の官職に就けました。
源氏はそれを好ましくないと考えたのです。

紫式部はここで源氏の口を借り、貴族批判をしているのかも知れません。
親の七光りでよい職と収入を手に入れて
のほほんとしている無教養な貴族たちを、
おそらく何人も目にしていたのでしょう。