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源氏物語【39】恋の山には孔子の倒れ

【39】恋の山には孔子の倒れ


今回は源氏物語に見られることわざのお話です。



◆光源氏のおせっかい


「胡蝶」の巻は紫の上の春の御殿で催される
豪華な舟遊びが幕開けになっています。

しかし読者には、源氏の養女、玉鬘(たまかずら)の社交界デビューと
美しい養女に迫る源氏の見えすいた下心が気になるところ。
さすがにここまで来ると、36歳の源氏が
立場を悪用する好色オジサンに見え始めてしまいます。

源氏は玉鬘に贈られた恋文を一つひとつチェックして面白がり、
玉鬘の女房を呼んで返事の仕方などあれこれアドバイス。
プライバシーの侵害であり、おせっかいでもありますが、
その中にこういう一節があります。


右大将のいとまめやかにことことしきさましたる人の
恋の山には孔子の倒れまねびつべきけしきに愁へたる…


右大将でたいへん真面目でものものしい様子の人が
「恋の山では孔子も転ぶ」と同じことをしそうに訴えている…

「恋の山には孔子の倒れ」というのは
「孔子の倒れ」が元のかたちで、
孔子のような立派な人でも失敗することがあるというたとえ。
孔子はこの場合「こうし」でなく「くじ」と読みます。


◆嘲笑される聖人


孔子の失敗とは、こういう話です。

周の時代に柳下恵(りゅうかけい)という賢人がいました。
しかしその弟盗跖(とうせき)は大盗賊。
孔子は兄の忠告さえ聞かないという盗跖を説得するべく、
柳下恵が制止するにもかかわらず、自信満々で出かけていきます。

盗跖は孔子の名声を知っており、
納得のいく話であれば聞き入れようと告げました。

盗跖の鬼神のような風貌に震えながらも
孔子は「道理」を説きますが、ことごとく論破されてしまい、
結局はほうほうの体で逃げ帰ることに。

この逸話から生まれたことわざが『源氏物語』にあるのは、
平安貴族の多くが孔子の失敗談として
昔からよく知っていたことを示しています。

出展は『荘子』にあるといい、
孔子の説く道理(道徳)が実際の世の中では役に立たないという
儒教への批判とも考えられます。
孔子の姿が戯画化されているからです。

平安時代は儒教にもとづく道徳観が広まっていたそうです。
その一方で「孔子の倒れ」が
堅物(かたぶつ)でも恋に迷うたとえに用いられていたのは、
建て前は建て前だと割り切っていたように思われ、
当時の人々の懐の深さを感じさせます。