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源氏物語【38】封印された源氏物語

【38】封印された源氏物語


今回は源氏物語受容史の裏側について。



◆源氏を子どもに教えるな


藤原俊成は「源氏見ざる歌詠みは遺恨ノ事也」と述べ、
「もののあはれ」を解するために
歌人たちに『源氏物語』を読むように勧めています。

俊成の時代は『源氏物語』成立から100年ちょっと。
まだ写本でしか手に入らず、インテリ貴族や富裕層など
一部の人々が楽しめるだけでした。

出版が盛んになり、庶民の識字率が向上した江戸時代、
『源氏』は『百人一首』や『古今和歌集』などと並んで、
身近な古典として急速に普及していきます。

寺子屋でもテキストとして使われるようになりましたが、
それに異をとなえたのが貝原益軒先生。

益軒は教育書『和俗童子訓(わぞくどうじくん)』の中で
女子に教えてはならないものを列挙し、
「伊勢物語、源氏物語など、其詞(そのことば)は風雅なれど
かやうの淫俗の事をしるせるふみを、はやく見せしむべからず」と、
『伊勢』『源氏』の古典二書を挙げています。

教育上好ましくないというのですが、
しかしまさに益軒の時代に、『伊勢』や『源氏』に倣った
西鶴の『好色一代男』(1682年)が出版され、
ベストセラーになっていました。

さらに江戸末期には柳亭種彦(りゅうていたねひこ)の
『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』がベストセラーに。
『源氏』の認知度が高くなければ
こういう現象は起こらなかったでしょう。


◆源氏は不敬の文学


明治維新によって西洋文明の洗礼を受けたわが国では、
古典に対する評価が著しく低下しました。
そうはいっても「谷崎源氏」や「与謝野源氏」があるわけで、
『源氏物語』の地位は揺らがなかったように思えます。

しかし実際は、第二次大戦に至るまでの間、
『源氏』は受難の時代を迎えていました。

明治憲法第3条の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」が暴走したのです。
『源氏物語』は「不敬の書」と見做されて
「谷崎源氏」は大幅な削除を余儀なくされました。
映画や演劇も当局によって上演が禁止され、
当時の新聞が「古典の至宝封殺」と報じる事態にまで発展。

皇族の私生活を書いたり演じたりするのはけしからん。
表向きの理由はそんなものでしたが、これらアンチ源氏の本音は
「皇室の権威を失墜させたくない」というものでした。

たしかに『源氏』は皇室スキャンダルの宝庫。
臣下の身である光源氏が継母である皇后と密通し、
産まれた不義の子が即位して帝位に即きます。
さらに不義の張本人が太政大臣から准太上天皇になって
上皇なみの待遇を受けるようになるのです。

たとえフィクションであっても、
天皇を神と見做す教育を行っていた側にとっては
好ましくない物語というしかありません。

『源氏物語』にかけられていた封印は、戦後
天皇の人間宣言によってようやく解かれることになるのです。