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源氏物語【37】光源氏は本名ではない?

【37】光源氏は本名ではない?


今回は光源氏の名前の秘密に迫ります。



◆皇子から臣下の身分へ


わたしたちは何の疑いもなく光源氏(ひかるげんじ)と呼びますが、
これは「帚木(ははきぎ)」の巻冒頭に
「光る源氏 名のみことごとしう…」と書かれているから。
これを根拠に『源氏物語』の主人公は光源氏と呼ばれているのです。

ここでいう「名」は通称のこと。
本名のことではありません。

まず「光る」について。
「桐壺」の巻に若君が輝くように美しいので、
周囲の人々が「光る君」と呼んだと書いてあります。
これは本居宣長が諱(いみな)であると指摘したように、
高貴な人の実名を呼ばないようにするための通称なのです。

次に「源氏」について。
同じ「桐壺」に「源氏になし奉るべくおぼしおきてたり」とあるのは、
源(みなもと)の姓を与えて臣籍に降下させようと決めていたということ。
皇子は姓を賜ることで皇族から臣下の身分になるのです。

姓を賜ることを賜姓(しせい)といいます。
平安時代前期は平(たいら)の姓、
それ以降は源の姓を賜るのが一般的だったようです。

「源氏」は源の姓を賜った人々の総称です。
嵯峨天皇、清和天皇、村上天皇など、
何人もの天皇が皇子皇孫(こうそん)を源氏にしていますから、
同じ源氏でも一族と呼ぶほどにはつながりの濃くない、
かなり多くの源氏が誕生していたことになります。

もういちど光源氏にもどると、その意味は
「源の姓をもらった人々のうちの光り輝く君」ということ。
賛美を含んだ呼び名だったのです。
本名は物語中に一度も出てくることがありません。


◆光源氏のモデルは嵯峨源氏


光源氏の父桐壺帝は、高麗の占い師の予言をうけて
息子を賜姓源氏(しせいげんじ)としました。
将来の不安を取り除く意図のあったことが文中からうかがえます。

しかし、実際は天皇の子孫が増えすぎて養いきれなくなり、
いわば「仕分け」のために臣下となった源氏が多かったようです。

最初の賜姓源氏は嵯峨源氏ですが、これは
子どもが50人もいた嵯峨天皇が、経済的な理由から
多くの皇子、皇女を臣下の身分に降し、官人として働かせたもの。
その数は32人にのぼるといわれます。

皇族ではなくなったものの優遇されることに変わりはなく、
官人の昇進システムである「位階」は
最初から四位以上が与えられていました。

政府高官になれるチャンスが与えられていたわけで、
嵯峨源氏では常(ときわ)、信(まこと)、融(とおる)が
左大臣にまで昇進しています。

このうち光源氏のモデルといわれているのが融(822-895)です。
鴨川の水を引いた大邸宅〈河原院(かわらのいん)〉を建てて
贅沢三昧の生活を送った融は、
政界のトップとなり六条院で豪奢な暮らしを謳歌した光源氏と
みごとにイメージが重なります。