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源氏物語【34】須磨の浦

【34】須磨の浦


今回は平安時代の流刑のお話です。



◆須磨の侘び住まい


須磨といえば関西を代表する景勝地のひとつ。
しかしかつては、人家もまばらな時代があったようです。
『源氏物語』の「須磨」の巻にはくわしくその風景が描かれています。

読者(つまり貴族)の多くが田舎というものを知らなかったため、
説明する必要があったのでしょう。
源氏もイメージしていた田舎と実際の田舎との違いに
たびたびとまどっています。

紫式部が源氏の蟄居(ちっきょ)先として須磨を選んだのは、
在原行平(ありわらのゆきひら)の和歌の影響とされています。

わくらばに問ふ人あらば 須磨の浦に藻塩垂れつゝわぶとこたへよ
(古今集 雑 在原行平朝臣)

もしたまたまわたしのことを尋ねる人があったなら
須磨の浦で水を藻にかけ(涙を流して)思い悩んでいると答えてくれ

行平は文徳(もんとく)天皇の時代に
罪を問われて須磨に流されていたことがあり、
これはそのときに都にいる知人に贈ったもの。

須磨は大阪湾に臨み、向いに淡路島があるわけですから、
そんな都に近くて景色もよいところに送られても、
たいした刑罰ではなかったように思えてしまいます。

しかし物語中で源氏が言っているように、
都の華やかさと無縁の生活を送ることが
かれらには十分な罰だったのです。


◆陸続きでも島流し?


罪人を遠隔地に追放するのを流罪(るざい)といいます。
流罪には等級があり、罪の程度によって遠近が決められました。

島流しともいいますが、越前、諏訪、伊豆など
陸続きのところもたくさんあります。

政変の絶えなかった平安時代には、
何人もの皇族、貴族が流罪になっています。
讃岐に悶死した崇徳院は有名ですが、
たとえば隠岐には小野篁(おののたかむら)、後鳥羽上皇、
文覚(もんがく)上人、後醍醐天皇が流されています。

一般人の流罪は家族ぐるみで遠隔地に送られ、
そのまま帰ってこられないのがふつうでした。

しかし皇族や貴族階級の場合は、
都で政敵が失脚したり、自分に近い人が権力を握れば
途中で呼び戻される可能性がありました。

源氏の場合は父親桐壺院の亡霊の助力で帰京が実現し、
すぐさま昇進しています。
亡霊はともかく、このような境遇の激変は
現実にあったことなのです。