【31】平安貴族の食事事情
今回は平安貴族の食事を見ていきます。
◆お茶漬けを知らなかった光源氏
「常夏」の冒頭、光源氏が夕霧たちと
六条院の釣殿(つりどの)で食事をするシーンがあります。
釣殿は庭園の池に面して作られた納涼・娯楽スペース。
寝殿造りの貴族の邸宅にはたいてい設けられていました。
かれらがそこで食べていたのは夏の味覚、鮎。
ほかに「近き川のいしぶしやうのもの」も
目の前で調理させて食べたとありますが、
煮たのか焼いたのか蒸したのか、書いてありません。
当時の京都で日常的に食べていた魚は淡水魚で、
琵琶湖や近くの川で獲れたものが中心でした。
とはいえ昔は琵琶湖も十分遠かったので、
京都で手に入る琵琶湖の魚は干物や塩漬けだったそうです。
「常夏」では酒、氷水(ひみず)、水飯(すいはん)も出てきます。
この場合の酒は薬用としてちょっと飲むていど、
宴会のように酔うまで飲むものではありません。
氷水は貴族ならではのぜいたく品で、
冬の間に氷室で作らせておいた氷を使いました。
これをかき氷にするというお話はすでに紹介しましたね。
(バックナンバー【5】参照)
水飯は強飯(こわいい)を水に浸したもの。
米を固くなるまで蒸したものを強飯といい、
夏はそれを水に浸して、やわらかくして食べたのです。
お茶があれば冷やし茶漬けができたのですが、
平安時代にはまだお茶を飲む習慣がありませんでした。
蒸したものに対して、水を入れて炊いたものが粥(かゆ)です。
しかし「末摘花」などに出てくる粥は、わたしたちが知っている、
スープのようなおかゆとはかぎりません。
わたしたちが普通に食べているご飯は固粥(かたかゆ)、
おかゆのことは汁粥(しるかゆ)と呼んでいました。
◆新鮮なのは野菜だけ?
獣肉を日常的に食べることはなく、
肉といえば雉や鴨など鳥の肉が中心でした。
保存方法が未発達だったため、
これらも乾し肉などに加工されていました。
新鮮なまま食べられたのは野菜、山菜、果物くらい。
生(なま)で食べる習慣がなかったので、
果物以外はほとんど調理されていたようです。
ほかには汁物としてお吸い物がつきました。
出汁(だし)は堅魚煎汁(かつおいろり)というものが
文献にあるそうで、カツオを煮るときのゆで汁を
煮つめておいて使ったのだろうといわれています。
調味料について見てみると、
宮中では大膳職(だいぜんしき)というお役所で味噌を作っていて、
平安京には味噌を売る店も出ていたといいます。
酢は今でもおなじみの米酢が作られていて
和泉の酢がとくに有名だったとか。
砂糖が普及せず、醤油もまだなかったので、
味噌、酢、塩が三大調味料でした。
バリエーションが少ないですね。
ご飯でお腹をいっぱいにするのが基本で、
おかずは種類が乏しく、調理方法も少なかった平安時代の食事。
現代人のほうがはるかにリッチなようです。