【三】王朝の色彩
カラフルな平安ファッション〈前〉
今回はメイクの基本(黒・白・赤〈後〉)の話題です。
◆平安時代は染色の発展期
光源氏は「須磨」や「野分」で、
紫の上と花散里が染色の名手だとほめていました。
「玉鬘」の衣(きぬ)くばりの部分にこのような一節もあります。
いと勝れて世になき色あひ匂ひを染めつけ給へれば
ありがたしと思ひきこえ給ふ(玉鬘)
世にもめずらしい素晴らしい色合い、風合いを染めつけなさるので めったにないこととお思いなさる
当時は貴族の女性がみずから染色を行ったり、
侍女や職人たちに直接指示を出したりしていました。
染殿(そめどの)と呼ばれる専門の施設を邸内に備えている場合もあり、
染色は大切な仕事だったのです。
宮廷には染めや織りを担当するお役所があり、
数百人の染手、織手が働いていました。
ここは天皇や皇太子、后や女官たちの着る装束を作るところ。
諸国から献上されたさまざまな染料・顔料も管理されていました。
藍(あい)・茜(あかね)・紅花(べにばな) 支子(くちなし)・黄檗(きはだ)・呉桃子(くるみのみ) 丹(に)などの名前が記録にあり、 これらを使ってカラフルな平安ファッションが産み出されたのです。
平安時代になると染料は一般に流通していたらしく、
貴族の間では贈り物にも使われていました。
『落窪物語』ではヒロインの落窪の君に、
夫の母親から生地と染料がセットで贈られたとあります。
よき絹、糸、綾、茜(あかね)、蘇枋(すほう)、紅(くれない)など
多く奉りたまへれば、もとよりよくしたまへりけることなれば
いそがせたまふ(落窪物語 巻二)
綾は綾織りの絹、茜は蔓草の一種から採った緋色の染料、
蘇枋は蘇枋の木を煎じて作った暗紅色の、
紅は紅花から作った赤い染料です。
落窪の君はこれらを受け取り、染色を「いそがせ」なさったのです。
出来映えを見た母君はたいそう喜びます。
あな美し、いとよくしたまふ人にこそ物したまひけれ
内裏(うち)の御方などの御大事あらむには聞えつべかめり
針目などのいと思ふやうにあり(同)
なんて美しい、とても上手な方でいらっしゃること 内裏のほうで必要のあるときは申し上げておきましょう 縫い目なども理想的です
落窪の君は裁縫も上手だったようです。 貴族女性の理想像とは、こういうものだったのでしょう。