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源氏物語【23】はたらく女たち〈前〉

【23】はたらく女たち〈前〉


女房は女性官僚〈前〉



◆女房は奥さんではない


紫式部、和泉式部や清少納言は
女房(にょうぼう)と呼ばれます。
この三人は死別や離婚で独身だったので、
出仕中はだれかの奥さんだったわけではありません。

彼女たちの仕事は宮中ではたらく「宮仕え」。
宮中では多くの女官(にょかん)がはたらいていて、
そのうち上級女官にはそれぞれ房(部屋)が与えられていました。
自分の房を持った女官を女房と呼んだのです。

女官たちの主な職場は后妃たちが住む奥御殿。
天皇の住居である内裏(だいり)の北半分を占めており、
後宮(こうきゅう)とも呼ばれます。

そこには後宮十二司(こうきゅうじゅうにし)という
次のような役所がありました。

・内侍司(ないしのつかさ)
・蔵司(くらのつかさ)
・書司(ふみのつかさ)
・薬司(くすりのつかさ)
・兵司(つわもののつかさ)
・○司(みかどのつかさ)○は門構えに韋
・殿司(とのもづかさ)
・掃司(かもりづかさ)
・水司(もいとりのつかさ)
・膳司(かしわでのつかさ)
・酒司(みきのつかさ)
・縫司(ぬいのつかさ)

名前から仕事が想像できるでしょうか。


薬司が薬、掃司が掃除を担当するのは見たままです。
書司は書物と楽器を扱い、兵司は本当に武器を担当していたそうです。

人数が多かったのは内侍司で、
ここは今でいう秘書室のような役割を果たしていました。
つねに天皇のそばに控えていて、
お言葉の伝達などが仕事だったようです。



◆あこがれの秘書室勤務


内侍司の人員構成はこのようなものです。

・尚侍(ないしのかみ)…2名
・典侍(ないしのすけ)…4名
・掌侍(ないしのじょう)…4名
・女孺(にょじゅ)…100名

尚侍には有力貴族の娘が選ばれることになっていて、
平安時代には尚侍が天皇の后となるのが一般化しました。
実質的な内侍司の長官は典侍だったようです。

女孺は雑務をこなす下級官女のことで、
物語に「めのわらわ」として出てくるのがそれです。
貴族が貢進した氏女(うじめ)と
地方豪族が貢進した采女(うねめ)が女孺になりました。


内侍司はあこがれの職場だったらしく、
清少納言は『枕草子』でたびたび話題にし、
「なほ内侍に奏してなさん(ぜひとも内侍司に推薦しよう)」と
ほめられて喜ぶ場面もあるほどです。


役職は親の家柄や身分に左右され、給与にも格差がありました。
しかし除目(じもく)という人事異動で
上級官職に就く可能性もなかったわけではありません。


もちろん除目は男女を問わず重大関心事。
『枕草子』で再三言及されているほか、
紫式部の父、藤原為時(ためとき)が国司就任を願って
申文(もうしぶみ)を天皇に奉ったことも知られています。