【22】貴族の恋〈後〉
出会いから結婚まで〈後〉
◆平安時代の結婚適齢期
男子の成人式を元服(げんぷく)といい、
女子の場合は裳着(もぎ)といいます。
これを済ませると結婚できるようになりました。
男子は15歳くらい、女子は13歳前後でしたから、
平安時代はずいぶん早く結婚できたことになります。
しかし「葵」の巻では、
身勝手な光源氏が決まりを無視してしまいます。
しのびがたくなりて 心苦しけれど いかがありけむ
人のけぢめ見たてまつり わくべき御仲にもあらぬに
男君はとく起きたまひて 女君はさらに起きたまはぬ朝あり
抑えきれなくなり、気の毒だが、どういうことだったのだろうか、
まわりの者たちがお見分け申せる間柄ではないが、
男君が早くお起きになって、女君がお起きにならない朝がある。
ぼかした表現になっていますが、
源氏は裳着も済ませていない紫の上と契りを結んだのです。
あやなくも隔てけるかな夜をかさね さすがに馴れし夜の衣を
どうして長い間何でもない間柄でいたのでしょう
幾夜も馴れ親しんで来た仲なのに
源氏はこのような歌を残して立ち去ります。
紫の上はまさかそんなつもりだったとは知らず、
自分があさはかだったと情けない思いにとらわれてしまいます。
源氏はその後になって、紫の上の父親に娘の所在を知らせたり
裳着をさせたりと奔走することになります。
ところで作者の紫式部が結婚したのは27歳くらいと推測されています。
当時とすれば晩婚のほうですね。
夫の藤原宣孝(ふじわらののぶたか)は50歳前後でしたから、
男はいくつになっても結婚できたようです。
今月の☆光る☆雑学
【妻の生活】
貴族の奥さまだからといって
毎日のんびり優雅に過ごしていたわけではありません。
官吏の妻として毎日のように朝早く起きて夫の出勤準備をし、
侍女たちをまとめてさまざまな家事をこなし、
染織や裁縫にもリーダーシップを発揮し、
夫がほかの女のもとに行くときでさえ
恥をかかせないよう気配りをしなければなりませんでした。
『源氏物語』では女三宮のもとに行く光源氏の装束に
香を焚きしめさせる紫の上が描かれています。(若菜上)