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源氏物語【12】王朝の調べ〈後〉

【12】王朝の調べ〈後〉


光源氏が聴いた音楽〈後〉



◆日本生まれの雅楽


平安時代の中期、
民謡、俗謡の歌詞を用いた新しい雅楽が生まれます。
それが『催馬楽(さいばら)』です。
歌詞は奈良時代からあったものですが、曲は外国ふうです。


『源氏物語』の巻名「梅枝」「竹河」「総角(あげまき)」
「東屋(あずまや)」は催馬楽から採られています。

また登場人物が催馬楽を歌うシーンもたびたび描かれ、
その定着ぶりがわかります。


「梅枝」では薫物合せ(たきものあわせ)のあと宴会となり、
弁少将がリズムをとって「梅枝」を歌います。



むめがえに きゐるうぐひすや
はるかけて ハレ はるかけて
なけどもいまだや ゆきはふりつつ
アハレ そこよしや ゆきはふりつつ

梅の枝に来ているうぐいすよ
春を待ちかねて(ハレ)春を待ちかねて
啼いてもいまだに雪が降っているね
(アハレ)それがまたよいね 雪が降っているね


カタカナの部分は囃しことば。
「宮も大臣もさしいらへしたまひて」とあるのは
興にのって合いの手を入れたということですから、
宮さまも大臣も「ハレ」と囃しながら手拍子を打っていたのでしょう。


「初音」の巻には踏歌(とうか)が描かれています。
踏歌は正月の宮廷行事で、
14日に男踏歌、16日に女踏歌が行われました。

足で地を踏んでリズムをとるもので、
男踏歌では催馬楽の「竹河」「此殿」「我家」などが歌われたといい
「初音」の巻には「竹河」の名が出てきます。



たけかはの はしのつめなるや
はしのつめなるや はなぞのに ハレ
はなぞのに われをばはなてや
われをばはなてや めざしたぐへて

(伊勢の国の)竹河の橋詰めにあるという
橋詰めにあるという花園に(ハレ)
花園にわたしを放してくれないか
わたしを放してくれないか 少女と一緒に


「めざし」というのは髪型のことですから(第六回に既出)、
ここではめざし姿の童女をあらわしているのでしょう。
この歌は「竹河」の巻で薫が歌っていましたね。


ちなみに男踏歌は紫式部の時代には廃止されていて、
女踏歌だけが残っていました。
廃止されたのは円融天皇(在位969~984)の時代なので
そこから『源氏物語』の時代設定が推測できます。



今月の☆光る☆雑学


【呂律】

「ろれつがまわらない」というときの「ろれつ」は
「呂律」と書き、雅楽の旋法(=音階)の名前です。
催馬楽の歌も「呂歌」と「律歌」に二分されています。

ドレミでいうと「呂」はド・レ・ミ・ソ・ラの五音、
「律」はド・レ・ファ・ソ・ラの五音から構成されます。

源氏は「若菜下」で旋法について論じ、
女楽(女性のみの合奏)に律の曲を演奏させています。


《参考》

雅楽を聴いてみたいという方のために、
ご参考までにCDの出ている主な演奏団体を紹介します。

・宮内庁式部職楽部(くないちょうしきぶしょくがくぶ)
・東京楽所(とうきょうがくそ)
・伶楽舎(れいがくしゃ)

どれも難しい名前ですが、
いにしえの貴族の世界を耳で味わうことができます。