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源氏物語【11】王朝の調べ〈前〉今回は平安朝の音楽事情を見てみましょう。

【11】王朝の調べ〈前〉


光源氏が聴いた音楽〈前〉


今回は平安朝の音楽事情を見てみましょう。


◆源氏物語の音楽


小説の主人公が聴いたレコードを聴きたいというので
クラシック音楽のアルバムが大量に売れました。
去年の話ですが、それにしてもベストセラーの影響力には驚きました。


千年前の長編小説『源氏物語』も音楽の話題が豊富です。
では現在のわたしたちは
光源氏が聴いた音楽を聴けるでしょうか。


貴族たちが聴いたり演奏したりしていた宮廷音楽は
雅楽と呼ばれ、民衆の俗楽と区別されています。

閉じられた社会の音楽であり、
一般民衆が日常的に耳にすることはなかったわけですが、
ありがたいことに今ではCDやDVDでも聴くことができます。


『源氏物語』千年を記念して発表された
『源氏物語の雅楽』というアルバムは、
平安中期の宮廷音楽を再現したものとして話題になりました。

響きがちがい、現在の雅楽に較べておおらかで、
のびのびしているように感じられます。



◆外国生まれの雅楽


雅楽は大陸からもたらされました。
七世紀の初め、聖徳太子が百済(くだら)の味摩之(みまし)を招いて
少年たちに伎楽(ぎがく)を教えさせたのが
外国音楽教習の最初といわれます。

その後、唐の宮廷音楽やシルクロード経由の舞楽なども採り入れられて
いくつもの外国音楽が宮廷に定着していきます。

東大寺の大仏開眼会では朝から晩まで盛大に雅楽が演奏され、
古代の野外ロックコンサートのようだったとか。
ただこれは民衆が雅楽を聴けた例外的なイベントでした。



平安時代に入ると、貴族たちも雅楽の演奏を行い、
光源氏のようにみずから舞ったり歌ったりするようになります。

源氏は「紅葉賀(もみじのが)」の冒頭、
頭の中将を相方に雅楽の試楽(リハーサル)を行います。
二人が舞ったのは優美な『青海波(せいがいは)』という曲。
衣裳も青海波紋様の、とても華やかなものです。


翌日、手紙で感想をきかれた藤壺は、歌でこう返信します。



唐人の袖振ることは遠けれど 立ちゐにつけてあはれとは見き

唐の人が袖を振って舞うというのは遠いところの話でわかりませんが
あなたの立ち居(姿)はしみじみと拝見しました


藤壺が「唐人(からひと)の」と言ったのは、
この曲が唐の宮廷音楽だと知っていたからでしょう。
波のように袖を上下させて舞う振付は
たしかに袖を振るように見えます。


『青海波』の伴奏に用いられる楽器は箏(そう)と琵琶(びわ)です。
箏は中国から伝わった琴、
琵琶の起源はペルシャのウードという弦楽器です。

さまざまな外国音楽を受容しながら
それらを整理して日本なりの雅楽の体系が整えられていったのが、
ちょうど『源氏物語』の時代設定とされる十世紀ごろのことでした。


(→後編につづく)