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源氏物語【1】王朝メイク事情〈前〉

【1】王朝メイク事情〈前〉


メイクの基本は黒・白・赤〈前〉

今回は平安時代のお化粧を見ていきます。

◆平安貴族は目より眉

『源氏物語』の「若紫」の巻で、光源氏は紫の君を自分のもとに引き取りました。
源氏は自邸の二条院で、わずか10歳の姫君とままごとのような生活を送ります。

「末摘花」の巻には一緒に人形遊び(雛遊び)をしたり、絵を描いたりするようすが描かれています。
源氏は紫の君が成長するのを気長に待つわけですが、まだまだ無邪気な姫君に大人ふうの化粧をさせてたわむれます。

歯黒めもまだしかりけるを引き繕わせ給へれば眉のけざやかになりたるも美しう清らなり

お歯黒もまだだったが、お顔をととのえさせなさると 眉のくっきりしたのも美しく清らかだ

この時代、眉を描くのは大人の化粧でした。
女性は成人すると眉を抜き、眉墨で眉を描いたのです。
これが「引き眉(ひきまゆ)」。
現代では目を大きく見せるためにマスカラ、エクステなどを使いますが、平安時代は目より眉がポイントだったようです。

『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」はお化粧が大嫌い。
眉毛はたいへん黒く、白い顔の中で妙に目立っていたとあります。
姫君はお年頃になっても引き眉をしなかったのです。

子どもの眉は生まれたままの姿、大人の眉は描いた眉。 絵巻物の女性を見てもそれがわかります。

ではどんなかたちの眉がお洒落だったのでしょう。
残念ながら当時の絵から想像するしかないのですが、それほど細いものではなかったようです。
実際の眉毛より上のほうに、現代よりちょっと太めに描いたと思われます。

眉月(まゆづき)とか柳眉(りゅうび)という言葉がありますね。
細い弓形の眉は奈良時代くらいまでで、平安時代は柳の葉のようにまっすぐ引いていたようです。

◆美白は第一条件

お化粧の基本は美白でした。
白粉(おしろい)は「白きもの」と呼ばれ、白い粉を水に溶かして念入りに顔全体に塗ったのです。

原料は米の粉や鉛。
鉛なんてお肌によくないはずですが、平安時代には鉛製のほうが高級品だったそうです。
つきがよくないのでかなりの厚塗りだったとも。

ガラス窓のない平安時代の室内はほの暗く、夜も燈台(とうだい)の灯りで生活していました。
真っ白に厚塗りしていてもちょうどよいくらいに暗かったのです。

燈台は今でいうフロアスタンドのようなもの。『源氏物語』には「御殿油(おほとなぶら)」という名でたびたび出てきます。
皿に油を入れ、燈心をひたして火をともしますから、ろうそくくらいの明るさでしょうか。
そんな弱い光の中では、白く塗っていないと目立たなかったでしょう。

『落窪物語(おちくぼものがたり)』の贈り物の場面には
「いとよくしたる扇、螺(かひ)すりたる櫛、蒔絵(まきえ)の箱に白粉(しろきもの)入れて」とあります。
さすが貴族、白粉も贅沢な箱に保存していたのですね。

(→後編につづく)