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  源氏物語メールマガジン >> 【59】源融と光源氏

  【59】源融と光源氏
 



       今回は光源氏のモデルとなった源融について。

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◆光源氏そっくりの嵯峨源氏
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洛西嵯峨野に清涼寺(せいりょうじ)という古刹があり、
3月の嵯峨お松明(たいまつ)式、4月の大念仏狂言などが
今でも京都やその近郊の人々に親しまれています。

この地は光源氏のモデル源融(みなもとのとおる:822-895年)の山荘
棲霞観(せいかかん)があったところ。
融はその敷地の一隅に阿弥陀堂を建てていたと伝えられます。

「松風」の巻に源氏が嵯峨野に御堂を作っているようすが描かれますが、
場所は大覚寺の南とされていて、まさに棲霞観のあった場所。
作者が融の事跡をなぞっているのは明らかです。

また源氏の豪邸六条院は
融の建てた河原院(かわらのいん)と場所も広さもほぼ同じ設定です。
通常の貴族邸宅の4倍の面積を持ち、庭園や家具調度にも趣向を凝らした、
有り余る財力にものを言わせた豪奢な大邸宅は
融という前例があってこそ描き得たものかもしれません。

贅を尽くした河原院は融の死後急速に荒廃し、
融の霊がさまようとも鬼が棲むともいわれました。

宇多上皇が京極御息所(みやすんどころ)を河原院に伴って
密事に及んでいるところに融の霊が現れ、
御息所を失神させた話。
無人の河原院を宿とした東国の夫婦が鬼に襲われ、
妻が喰われてしまった話。

これらの伝承から「夕顔」の卷が書かれたと考えるのは
当然の推測と言えるでしょう。
死後の融も紫式部のインスピレーションの源だったのです。

──────────────────────────────────
◆天皇になれなかった男
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源融は嵯峨天皇の皇子として生まれ、源の姓を賜って臣籍に下りました。
臣下として左大臣にまで昇進しますが、
天皇の子でありながら天皇になれなかった男です。

『大鏡』は陽成天皇が退位した際に
融が皇位継承権を主張して退けられたと伝えており、
臣下の身分に満足していなかったのではないかと
融に同情する見方もありました。

光源氏も同じように天皇になれなかった男。
しかし身分は左大臣どころか准太上天皇という
ありえない(→事実上ありえないそうです)高位に上りつめます。
その威勢は天皇もかすんでしまうほどであったと、
紫式部は筆を惜しまず描いています。

式部はなぜそこまでの栄華を源氏に与えたのでしょう。
主人公の理想化を推し進めていったらそこまで行き着いた
ということかもしれませんが、
モデルとしてたびたび参考にさせてもらった融への
トリビュートという意識はなかったでしょうか。

いうなれば融供養。
せめて物語の中ででも、
天皇をしのぐほどの栄華を味わっていただきたいと。



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