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  【2】王朝メイク事情
 

 

メイクの基本は黒・白・赤〈後〉

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◆平安貴族は男も化粧?
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今では男性のエステもめずらしくありませんが、
『枕草子』によると、平安時代には
男性も白粉(おしろい)を塗ることがありました。
正月行事を書いた「第三段」に


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 舎人(とねり)の顔のきぬにあらはれまことにくろきに
 しろき物いきつかぬ所は雪のむらむら消えのこりたるここちして
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 舎人の顔の地肌があらわれてほんとに黒いところに
 白粉の行き届かないようすは雪がまだらに消え残っているみたいで


とあって、男性も化粧していたことがわかります。
よくお歯黒もしていたといわれますが、
それは平安も後期になってから。
『源氏物語』のころは女性だけのものだったようです。

お歯黒が既婚女性のしるしとなったのは近世からで、
平安時代には成人すると引き眉と同時に鉄漿をつけていました。
「末摘花」に描かれた光源氏は
紫の君が大人になった姿を見たくてたまらなかったのです(前編参照)。


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◆ポイントは紅をさして
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『源氏物語』の「常夏(とこなつ)」に
「紅といふものいとあからかにつけて」とあります。
紅(べに)は紅花(べにばな)の花びらを絞った汁に梅酢を加え、
乾燥させて作ります。
唇に塗るのが口紅、頬に塗るのが頬紅(または面紅)です。

頬紅は白粉と混ぜたそうですから、ピンクだったのでしょう。
真っ白な顔に紅のアクセント。
顔立ちがくっきりし、血色もよく見えたにちがいありません。

平安貴族のお化粧は黒(眉墨)、白(白粉)と赤(紅)が基本でした。
ずいぶんヴァリエーションが乏しい気がしますが、
そんな状態がその後何百年もつづいたのです。


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             今月の☆光る☆雑学
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【顔つくり】

紫式部の時代はお化粧のことを「顔つくり」ともいいました。
片仮名にすればそのまんま「フェイスメイク」ですね。
一般的には化粧(けそう)だったようですが、
『紫式部日記』などに「顔つくり」の用例が見られます。


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 けさうなどのたゆみなくなまめかしき人にて暁に顔つくりしたりけるを
 泣きはれ涙にところどころぬれそこなはれて
 あさましう、その人となむ見えざりし
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 化粧などきちんとする上品な人なので明け方にメイクしていたのが、
 泣いてまぶたを腫らし、涙にぬれてところどころはがれ落ちて、
 情けないことに誰かわからなくなってしまった


【白粉師】

庶民も白粉(おしろい)を使うようになると、
白粉師(はくふんし)という職業が生まれました。
元禄時代の書物には京都、伊勢、堺などに多いと書いてあります。
白粉は鉛を蒸して作ったといい、粒状にして色紙の箱に入れて
売っていました。(人倫訓蒙図彙)

別の書物にはこうあります。

あちらこちらに白粉師はいるが、洛陽(京都)の製品には及ばない。
なかでも「京白粉」の第一は袖岡越中が焼いたものだ。
皇居や御所の女性はこればかり使っている。(雍州府志)

人気ブランドというのは昔からあったようです。



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